技術導入した頃のプラムイワテ製スーツ
細身で身体に沿うようにぴったり吸い付いている。
袖も非常に細い、美しい立体曲線がよく現れ、
まさに生体に寄り添う彫塑と言える
 昭和50年ごろ、名古屋に本社を有していた株式会社天神山(平成14年10月倒産)は、前々よりイタリアの一流既製服メーカーの製品と肩を並べられるほんもののスーツを作りたく、イタリア工場へ技術者を派遣する等色々努力していたが、同様スーツを作り出すのはなかなか難しく、ついにイタリアより一流技術者を日本の自社工場へ招き、一より指導を仰ぐことが一番だとの結論に達し、昭和52年、岩手県にある同社自家工場であるプラムイワテ株式会社に、DOMENICO CARACENIの直弟子でレディー・メーダーとなり、自分のシステムを開いて一家を為したOBERDAN COSTANZOを技術責任者に据え、困難なシステム作りに挑み、幾多の苦難の末、成功しました。

 その核心は、手の枯れた大勢のテイラーを工程に配した本場イタリアの最高級の製品を作るメーカーの他は、通常恐れをなして手をつけない極めて難度の高いイタリアン・クラシカル派の注文服の技法を、妥協せず手抜きせずに工程に置き換え実行している点にあるといえましょう。

 しかしながら天神山はこれに満足せずさらにハンドを多用した本物のイタリアン・クラシカル・ハンドメイド・スーツに挑戦すべく模索を続けていましたが、これには若く優秀な労働力を大量に確保しなければならず、これが出来るのは中国においてしかないと判断し、永年同国において高品質な毛紡績織物事業を行ってきた株式会社ダイドーリミテッドとの共同事業として、株式会社天神山が技術指導のもとダイドーリミテッド上海工場内に、プラムイワテラインを基にハンドを多用したラインを作り上げるべく準備をはじめました。しかしながら上記のように株式会社天神山は倒産に至ったため、元社員を中心に新たに新会社株式会社天神山リミテッド(当社)を設立のうえ移植事業を継承、プラムイワテ株式会社においてOBERDAN COSTANZOより直接教えを受け、彼の技術を掌中のものとしている技師長伊藤秀昭も天神山リミテッドに参加のもと、上記上海工場へ赴任、彼がCOSTANZOから受けた技法の移植を行いました。

 その結果プラムイワテ株式会社と同等の商品はもちろん、伊藤秀昭がCOSTANZOから伝授されながらも、日本では出来得なかったハンドメイドによるさらに手の込んだ難しい技法を取り入れた商品も生産可能となり、真にイタリアン・クラシカル派の注文服の技法を取り入れた商品の生産が可能となりました。

プラム上海工場の伊藤技師長